エレファントカシマシ

こんにちは!

今回は、昨年デビュー30周年を迎え、初の紅白出場!も果たした「エレファントカシマシ」を話題に書き綴ろうと思います。

先日リリースになった、通算23枚目のアルバム「Wake Up」にも収録のシングル曲!

エレカシは前述のようにバンドの歴史も長く、時期折々で様々なエピソードが存在するバンド。そこで今回は1994年?1996年の「契約打ち切り?劇的な復活!からの怒涛の快進撃!」期にピンスポットを当てる感じで話を進めていきたいと思います。

僕の1994年は、ミスチルの回のときにも紹介した「グダグダ期」。CDレンタル屋さんのバイトも結局1ヶ月ほどで辞めてしまい、予備校も行かず実家でパラサイト的な暮らしをのらりくらりする日々。ただ、そんなグダグダな時期も音楽に対してだけはシャンとした気持ちで向き合っていたつもりでした。

そんな気持ちが必然のように出会わせてくれた(と思っています)のが、エレファントカシマシのアルバム「東京の空」でした。

グダグダ期も読み続けていた、音楽雑誌ロッキング・オンジャパンによく登場していたエレカシ。宮本浩次さんのキャラクター・発言に興味を示してはいた僕ですが、エレカシの音楽を聴いたのはそのアルバムがはじめて。それまで僕が勝手に抱いていた「エキセントリックなキャラの宮本さんが、がなり立てるようなボーカルで骨太なロックを展開!」的なイメージと違い、ゲストプレイヤーにピアノ(Dr.KYONさん)やトランペット(近藤等則さん)やストリングスを迎え作られた、バラエティ豊かな音楽性の上質なロック。そして文学の香り漂う歌詞は健在!とてもバランスのいいロックアルバムで、これで遂にエレカシが世間に浸透していくのでは…という気さえしました。

しかし何事も順風満帆にはいかないもの。そんな素晴らしいアルバムを作ったのに、それまでのアルバム…宮本さんの理想を追い求めて作られたアルバムたちのセールスが伸び悩んでいたために、レコード会社の契約が打ち切りに。所属していた事務所も解散、エレカシはメジャーから一旦離れる事を余儀なくされます。

ただ、ここからがドラマチック!そんな状況に追い込まれたエレカシを、ファンが業界人が心から応援!その時期に行われたライブは、熱心なファンが集まりどの会場も大盛況の満員御礼状態。ロッキング・オンの渋谷さんと山崎さん(お二人方は、あるアルバムから「CHERRY BOYS」というコンビ名(笑)でスペシャルサンクス欄に載っています♪)の協力により新しいレコード会社&事務所も見つかり、エレカシは劇的な復活を遂げます!

ロッキンオンジャパン・1996年3月号掲載の記事。シングル「悲しみの果て」リリース直前の記事です。

その劇的復活の第一弾シングルが、今や震災復興応援ソングの代表格としても挙げられるようになった、この曲だったのでした(^-^)。

実は曲の尺は短いのですが、そんなことは微塵も感じさせない名曲!この曲に衝撃を受けた人、励まされた人は、きっとたくさんたくさんいると思います(^^)。

その時期にはかろうじて大学生になっていた小生とサークルの先輩もまた然り。「悲しみの果て」、それと同じ頃に初聴きしたファーストアルバム「THE ELEPHANT KASHIMASHI」にダブルノックアウトされた僕たちは、二人で中古アルバムを買い集めエレカシの歴史を遡り、ライブにも行くようになりました(その時期に福岡で行われた、エレカシ、キヨシローさん、スライダーズそしてミッシェル!という奇蹟のようなライブイベントも、僕たちは観ることが出来ました♪)。

全ての歯車がガチっとと噛み合ったかのようなエレカシは、快進撃!をはじめます。1996年8月21日にリリースされた8枚目のアルバム「ココロに花を」は、チャート初登場10位を記録!以降長い間売れ続け、その年内に10万枚以上の売り上げを叩き出すことになったのでした(^^)。

アルバム「ココロに花を」のプロモーションページ。深く鮮やかな緑が印象的なこのジャケットをデザインしたのは、当時ピチカート、コーネリアス、ミスターチルドレンなどのジャケットも手掛けていた信藤三雄さん。

今回のブログはここまで。この後の展開・大ヒットシングル「今宵の月のように」に続いていく下りは、いつか回を改めて書き綴ろうと思います(^^)。

実家の自分の部屋に貼っていたミニポスター。実はシングル「悲しみの果て」は再発されているのです(はじめは同年、春先にリリース)。